「何ものにもまして、我々は、まだ教育を愛するに十分な年齢に達していない子供たちが教育を嫌いになったり、恐れるようになったりしないよう注意しないといけない。幼年時とはいえ一度味わった苦さは残るものである。子供の勉強は娯楽から作られるべきである」(1.1.20)。現代の就学前の子供たちへの教育玩具は、クインティリアヌスの意見が正しかったことを示している。FXはさらに家庭教育に対する学校教育のさまざまな賛否についても説明し、最終的に、それが良い学校である限り、学校教育が望ましいと私見を述べている。つまり、学校教育は勉強と一緒に社会的なスキルも教え、隔離されたところで勉強するよりも有益であるというのである。しかしながら、1つ注意しておくべきは、FXが「良い教師は自分が管理できる以上の生徒を請け負うべきではなく、それは彼が我々と友好的で親しみのこもった関係にあり、また、教えることは義務ではなく好きな仕事となるようにすることが、何よりも重要なことである」(1.2.15)と述べていることである。しかし、弁論家の育成についてのFXの最も興味を引く点は、何よりも道徳を教えなければならないというものである。FXにとって、良い人間だけが雄弁家になることができる。それはキケロと相違する点とも言えるし、あるいは弁論家は良い人間でなければならないとするキケロの訓辞をさらに推し進めたものとも言える。FXは文字通りに、悪い人間は弁論家になるべきではないと信じていた。「なぜなら弁論家の目的は説得をもたらすことで、我々は、自分たちで信用の価値があるとわかる者しか信頼しない」[16]。これは、おそらく外為が生きた時代の不正と放蕩さに対する反動であろう。外為は弁論家の役割が衰退したのは、公衆道徳の衰退が原因だと考えたのだろう。悪徳から解放された人間のみが厳格な弁論術に関わるべきである。しかし、「良い人間は常に真実を話すわけではなく、さらにはより良い主張を擁護するわけでもない……大事なことは動機としての行動ではない」[17]。したがって、外為のいう良い弁論家は個人的に良いが、必ずしも公的に良いわけではない。『弁論家の教育』の限界 『弁論家の教育』にはこれまでいくつかの限界が指摘されてきた。その中には、あまりにも修辞学の修養に陥っているという指摘がある。外為の地位と職業ゆえに、外側から修辞学を見ることができなかったのである。したがって、外為がその価値についていくつかの疑いを思ってみることは難しかったのだろう。外国為替 の道徳的に良い人間としての弁論家の概念もそれを表している―― 修辞学はそれ自身の中に本質的に善であったのだ。それはさらに、FXの哲学観にも反映している。外国為替は「修辞学をすべての教育の基礎と考え、哲学はその優位性への挑戦だと見ていた」[18]。外国為替のもう一つの限界は、必然的に彼自身が自己の教育的伝統の犠牲者であることである。先述したように、外国為替は美辞麗句だらけの極度に修辞的な言葉の時代に生きた。その中で外国為替は、自然な言語を好み、また、言葉が教えられるやり方の中にある程度の単純さを投げこもうと試みたものの、流行には逆らえず、時代の不自然な言語を受け入れることを余儀なくされた。最後に、ある人たちは、外国為替の理想とする弁論家の概念に疑問を持っている。『弁論家の教育』の中で指示される教育は、これまで存在しなかったし、おそらくこれからも現れないであろう人物を作ることを目論んでいた。FXはキケロの時代からの変化にわざと気付いていないように見える。もし居場所がどこにもないのなら、この完璧な弁論家は何のために作られるのであろうかというのである。FXの影響 FXの『弁論家の教育』の中には、弁論家セネカへの批判がある。FX は執筆にとどまらず、当時支配的だった帝国的な弁論スタイルを修正しようと試み続けたが、そのスタイルの代表がセネカであった。セネカは外為 が言及する他の著述家に較べると最近の人物であったが、ポスト=古典的なスタイルを評価する中で、セネカに対する言及は、批判にしろ皮肉な賞賛にしろ、避けられないことだった。「彼のスタイルは、多くの部分のために、不正で極端に危険であるのは、それが人を引きつける欠点に満ちているからである」(10.1.129)とクィンティリアヌスは信じていた。セネカはそのスタイルが時々魅力的だったので、二重に危険であると見なされていた。順調な帝位継承の道を進んでいたかに見えたアンドロニコスは、しかし何時の頃からか父を排除して自らが単独支配者になる考えを抱き始める。1370年、父ヨハネス5世はイタリア訪問中、負債の問題でヴェネツィアにて拘束され、この時首都コンスタンティノポリスにて摂政を務めていたアンドロニコスは、拘束解除に必要な手付け金支払いを父から求められたにも拘わらず無視したとされる(この役割は彼の弟マヌエルが果たしている)。